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Diary【思いを伝えるということ展in仙台】 [Diary]

せんだいメディアテークで、
大宮エリーさんの『思いを伝えるということ展』を見てきた。

最初は私ひとりで見に行くつもりだったけど、
私が見て、後から友達に「良かったよー」って伝えるには、
開催期間が短かったので、
いっそのこと一緒に行ってしまおうと、友達を誘って。


「感情」を触って確かめる小箱は、
あーって納得出来るものと、えー?って首をひねるものが混在してた。
私の感情は、もうちょいキリキリしてるとか、
もうちょいさわさわしてるとか、そういうことを再確認できた、

平均台は、
子どものころはそんなに気にしてなかったけど、
大人になってからのぼると結構バランスとるのが大変だった。
あの頃は平気だったことが、今はとても難しいってこと、
最近は少し多くなってきたなあとか、思いながら。

誰かが触っているのを覗き見出来る空間、
目で見たらなんでもないことも、見えないとなると少し怖かったり、
目で見たらなんでもないものが、光の角度で新しいイキモノに見えたり。

運命のドアの前では、
何故かもう開いていたドアを、
鍵を閉めて閉じこもる失態(笑)

メッセージボトルには自分の思いを詰めてみた。
そして、詰められていた誰かの思いに、返事を書いてみた。
それを、誰か読んでくれたかな。

もしもしの電話ボックスは、
受話器を握っている時間が長ければ長いほど、
聴きたかった言葉が聞こえてきた。
そして、「受話器を置く」という行為が、
実はとても重要で、大切な「儀式」だったんだなと、気付かされた。
「私はもう大丈夫」という。

あの顕微鏡、
私が覗こうとしたらピントが合ってなくて、
係員のおねいちゃんに直してもらってようやく見れた。
ってことは、私の前に居たおねいちゃんは、
あの言葉が見えてたんだろうか、見えてなかったけど、
見たことに、しちゃったんだろうか。

そして。

暗がりを抜けて現れただいだい色は、
いつまででも眺めていたい温かさ。

誰かのシルエットが通り過ぎ、
知らない者同士が隣に座り、
言葉もなくそこに佇んでいても、
それぞれの心の中には、
話したいことや聞いてほしいことが、
あとからあとから溢れていたのかも。



連日行われているというトークイベントには参加出来なかったけど、
多忙のエリーさんもいらっしゃらなかったけれど、
会場の係員さんたちもほがらかで優しかったし、
荒吐のコラボTシャツも買えて良かった。

自分の思いを誰かに伝えること、
誰かの思いを受け止めること、
そのどちらも大事で大切で、
伝わるまで受け取るまで諦めてはいけないことだったんだ。

本当に、行って良かった。


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