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Movies【ぐるりのこと。】 [Movies]

この映画を観る前に読んだレビューに、
「何故カナオを法廷画家の設定にしたのか判らない」
というのがあった。
だから、私も何故カナオが法廷画家なのか、
それを中心に理解しようと思った。

この映画に出てくる翔子も波子(翔子の母親)も雅子(翔子の義姉)も、
カタチがあるものが総てで、カタチあるものに希望を託していた。
思えば、女性ってそういうのが好きかもしれない。
デート記念日、結婚記念日、スイート10ダイヤモンド。
カタチの無いものに名前をつけてラベルを貼って宝箱にしまう。

ただ、それは少しうざったくて、めんどくさいことだったりする。
特に男性にとっては。

人生の何もかもが順風満帆に進んでいる人など居ない。
何処かで挫折して何処かで諦めて、自分を宥めて生きていく。
ただ、どうしてもその意識を壊せない人も居る。
翔子のように徹底的に自分を追い詰める人も居れば、
法廷の中央で佇む被告人のように、誰かのせいにしてしまう人も居る。

誰しも、本当はちゃんとしたいのだ。
ちゃんとしたいのに、それが出来なくて苦しむのだ。

カナオはそれを少し離れた場所で傍観する。
強い感情を抱くこともなく、
無駄な情報に惑わされることなく淡々と、
戸惑いながらも逃げることなく、見つめている。
だから、翔子が少しずつ壊れていくときも、
どうしていいか判らないけれど、
でも逃げたり押さえつけたりすることなく、淡々と傍に居た。
それが法廷画家のスタンスと良く似ていた。
だから、法廷画家だったのだろう。

カタチを残すことの幸せに固持していた翔子を、
カタチの無い幸せで満たしたカナオ。
そのやり取りが、飾り気もなくて気取ってもいなくて。
なんていい夫婦だろうと思った。

幸せのカタチなんて、
目に見えない、手の平ほどの温かさで、
充分なのかもしれないな。
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