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Diary【言葉の裏側】 [Diary]

羽生選手が五輪2連覇を果たしてすぐのインタビューで、
「連覇するために人生をかけてきた」「生きててよかった」と口にしていて、
まあ、ソチと違って納得のいく演技で頂点に立てたからこそ、
そういう言葉を使ったのかな?でもそれにしてはちと大袈裟かな?と思っていた。

しかし、
凱旋アイスショーの最終日の言葉を聞いて、
あのインタビューの言葉の裏側が何となくわかってきた。

ソチから平昌までの彼の戦歴は、
確かに輝かしいものではあったが、
同時に怪我や病気で思うように身体が動かず、
それ以上にひどい中傷記事や愚かな捏造ネタでアンチが沸きに沸き、
「連覇」に意識を向けていないと息もできないほどの辛さだったのだろう。

もちろん、これは私の憶測でしかない。
ただ、あながち外れてもいないと思う。

連覇なんていう重圧より、
謂れのない中傷と凄まじい悪意と憎悪のほうが、
よほど堪えていたのではないだろうか。

今もなお、
「簡単に死のうと思ったとか言うな」
「公共の場で言うべきではなかった」
「所詮、計算だろ」
「なんか、がっかりした」
などという言葉が飛び交い、さらに波紋を呼んでいるが、
それもやむなしと思ってのあの発言だろう。

彼はいくら痛めつけても傷がつかないチタンで出来ているわけでも、
何度傷ついてもすぐに傷口が塞がるサイボーグでもない、
この世に23年しか生きていない一人の青年でしかないのだ。

「有名になったんだから我慢しろ」
ひと昔前に平然と言われていた時代では、もうなくなっているのだ。

我々も、もっと自分の言葉に責任を持たねばならない時代に、
なってきているのだと思う。


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